数ヶ月前のことでした。奥歯の溝に黒い点があることに気づき、虫歯に違いないと覚悟を決めて歯科医院のドアを叩きました。診察台の上でライトを当てられ、先生は「ああ、これは小さい虫歯ですね」とあっさり言いました。私は「やっぱりか。早く削って治してください」と心の中で思っていました。しかし、先生の次の言葉は意外なものでした。「まだ穴にもなっていませんし、進行もしていなさそうなので、これは削らずに様子を見ましょう」。虫歯なのに、治療してくれない。その言葉が、私の頭の中をぐるぐると回り始めました。様子を見るって、つまり放置するということじゃないか。このまま虫歯が中で大きくなったらどうするんだ。そんな不安と、少しばかりの不信感が芽生えました。家に帰ってからも、その黒い点のことが気になって仕方がありません。食事のたびに鏡で確認し、舌で触っては「大きくなっていないか」と神経質になりました。他の歯医者に行けば、すぐに削ってくれるのではないか、とも考えました。しかし、ふと診察の時の先生の言葉を思い出したのです。「歯はね、一度削ったらもう元には戻らないんですよ。削る必要がないものを削るのは、歯の寿命を縮めるだけ。あなたの歯にはまだ自分で治る力があるから、それを最大限に引き出してあげましょう」。その言葉を反芻するうちに、私の考えは少しずつ変わっていきました。先生は放置しようとしたのではなく、私の歯が持つ力を信じ、守ろうとしてくれていたのかもしれない。そう思えてから、私は「様子見」という言葉を前向きに捉えることにしました。それは放置ではなく、私自身に与えられた「歯を守るための期間」なのだと。それからというもの、フッ素入りの歯磨き粉を使い、教わった通りに丁寧にブラッシングし、間食を減らしました。そして先日、定期検診で診てもらったところ、先生は「うん、しっかり管理できていますね。進行もしていません。この調子でいきましょう」と笑顔で言ってくれました。あの時、すぐに削る歯医者に行かなくて本当に良かった。今では、先生は私の歯を一緒に守ってくれる、頼もしいパートナーです。